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(平成18年5月)第66号(抜粋) 

息子の内弟子入り

天道館管長  清水 健二

    息子の健太が正式に内弟子となった。以前から希望はあったようだが、本気でやるとは思っていなかった。本当にその気があるのなら、2年くらい外国へ出して人生の厳しさを真剣に味あわせようと考えていた。その事を伝えると「お父さんの傍でみっちり鍛錬したい」といった。その理由は私が若くないので、今の時期を逃したくないとのことだった。喜ぶべきなのかと戸惑ったものの、内心は真剣なまなざしで語る息子を褒めてあげたかった。しかし、その時は「そうか」で終わってしまった。

    私は合気道開祖・植芝盛平翁の内弟子時代に「清水のお陰で若返ったぞ」とのお言葉をよくいただいた。それは開祖の受身を多く取らされ、それも食い付くように日々夢中でかかっていったためだろうと思う。当時の道場長代行で、やはりご年配だった大澤喜三郎先生にも同じことをいわれたものである。回りがうかうかしてはいられないという何か急き立てるエネルギーがあったのか。ともかく洗濯機の中に放り込まれたような修行が続いた。

    息子は小学校の頃から稽古は重ねてきてはいるが、プロとして成長していくには全てこれからである。武道は心身の鍛錬といわれるが如く、技術プラス心の持ち方が肝心である。特に合気道では気力を養成し、気力の充実を図る。武術は技がよくできたとしても、その真価が問われるのはいざ大事に至ったときである。いかに冷静な判断が下せるかであり、それが難しいから私たちは日夜修練しているのである。

    息子にいかに覚悟を説いても本人次第であるが、まずは道場に新風を吹かせてほしいと願っている。人は進歩しなければ意味がない。旧態依然では指導者としては失格である。道場を常に新鮮に保っていくことを心がけなければならない。そして私を若返らせてほしいものである。


☆若先生インタビュー☆(編集部)

だれもが認める父子鷹ではあるが、自らの意志で決めた道をいよいよ歩み始めた。清水健二管長のご子息・清水健太さんである。今春大学を卒業し、4月から内弟子として修行に入っている。そこで“天道館の若先生”に率直な思いを聞いてみました。

    若先生と呼ばれるようになって早1か月が過ぎましたが、まずは感想から。

若先生:違和感はありますが、いずれはそう呼ばれるのならいっそのこと無理をしてでも早く慣れた方がと思いました。でも全然慣れていないです(笑)。

    髪型も短髪にしましたが、その心境は?

若先生:言葉で内弟子への決意を表すことは簡単すぎたので、何か別の形で表現できないかと考えたのです。短くしてみると手入れが本当に楽ですね。

    幼いころから跡を継ぐのが既定路線のように周囲で思われていて、当事者としてはどう感じていたのですか。

若先生:小学生の卒業記念文集の中で「父の仕事を継ぐ気はない」と書いた記憶があります。そのころは絵が好きで、将来はデザイン関係の職業に就きたいという希望を漠然と持っていました。ですから合気道は一般の稽古と同じように働きながら通うというイメージでした。

    その気持ちがどう変化していったのですか。

若先生:高校生になってごく普通の学生生活を送っていたのですが、ふとこのままではいけないと思い始めたのです。特にきっかけがあったというわけでもないのですが‥‥。目標といいますか何か打ち込めるものが欲しくなったのだと思います。

    その対象に合気道がなったと‥‥。

若先生:はい、その時に身近にあったのが合気道でした。そこで、ドイツ・セミナーへの同行を父に頼み込みました。参加の許しを得るとセミナーまでの半年間はできるだけ稽古に通いました。目標が持てたのです。夏のドイツ・セミナーのメインはヘルツォーゲンホルン(黒い森で知られるシュワルツバルツ近くに位置する)で行われる2週間の合宿です。10年以上続けている有段者がたくさんいて技量はもとより立ち居振る舞いもきちんとしたものが求められます。ましてや日本人は父を除いて僕だけでしたから。また、時期的には高2の中間試験と重なっていましたが、学校に事情を説明しますと公休扱いという特別措置をとってくれました。

    条件が整い、いよいよドイツへですね。

若先生:向こうに行ってみて、ともかく「世界」が変わりました。いままでの稽古は道場内で身体を動かすということのように思っていたのですが、セミナーでは世界約10カ国からいろいろな人が集まります。その人たちとの稽古を通じて、人種や宗教が違っていても人間はみんな同じなんだということを実感したのです。

    17歳のカルチャーショックだったわけですね。

若先生:高校の授業で国際問題や時事問題について勉強した時に、国が違うと分かり合えない問題があるのだなと思っていましたから。国籍が違っても一人ひとりと接してみると決してそのようなことはないと感じたのです。ともかく楽しかったのが一番です。帰国してまたもとの稽古に戻るだけではもったいないと思いました。それにドイツ行きを決めてからの稽古を通じて、合気道の技と精神性の深さを知ることができましたから。

    海外での先生の指導を直接目にした印象は。

若先生:尊敬しました。文化の違う地に単身で乗り込み、日本の精神性をそのまま体現しているのはすごいと思いました。

    日々の稽古の話に移りますが、先生の「受け」が大切な修行のひとつですね。

若先生:受けをうまくきれいに取りたいという気持ちよりも、仕手である先生の迫力に負けないようにと自分自身に言い聞かせています。先生の技は本当に怖いと思う時があります。その怖さに負けない自分をどう鍛えていくかだと思います。稽古では親子を特別に意識することはありません。

    少年部の指導にあたっては…

若先生:保護者の方が一番望まれているのは礼儀作法です。マナーを学ぶ場として少しでも子供たちの成長に役立つようにと思っています。そして辛いことがあったときには乗り越えられるだけの手助けができればうれしいですね。これは一般部の稽古も同じだと考えています。ただ動作の反復だけにならず、気持ちをしっかりと前面に出せる稽古を一緒にしてきたいと望んでいます。

    それでは内弟子としての決意を改めてどうぞ。

若先生:自分が未熟なことは十分に分かっているつもりですし、積まなければならない経験や体験は山ほどあります。今は武道家としての将来像を描くより、日々の内弟子修行の中での使命を果たしながら、試練に気持ちが折れない、耐える強さをまず身につけていきたいと思っています。


【プロフィール】

    1983年東京生れ。道着を初めてつけたのは2歳のときで、一人で稽古に通うようなったのは小学校2年生から。東京・私立和光高校を経て和光大学に進学、人間関係学部で人と現代社会学を広く学ぶ。卒業論文では「武道と教育」をテーマに合気道の新たな可能性を探る。
    趣味は映像編集で、海外指導に同行した際に撮影してきたビデオを1本の作品にまとめる。そのユニークな手腕はプロのお墨付き。お好みの映画は『カサブランカ』で、ボギーはじめ、「一人ひとりの個性がにじみ出ているところに惹かれる」らしい。
    スポーツではサッカーの大ファンとして日本代表を見守る一人。ひいきのプレーヤーは特にいないが、「魅せること」のできる選手が好きと言い切る。武道家としての将来像がそこに隠されているようだ。

Back number

>> 65号(2006.01)
「進歩しなくては」

>> 64号(2005.12)
「日本古来武術の達人、
清水健二先生ノビサドにきたる」

>> 63号(2005.09)
「どこでも稽古」

>> 62号(2005.06)
「日本人の失ったもの」

>> 60-61号合併号(2005.01)
「合気ニュ一ス創刊30周年」他



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